さよなら亀戸SS 60年のご愛顧に感謝して 秘蔵写真で綴る ありがとう亀戸SS、そして永遠に |
弊社オートジョイ亀戸SSは、戦後間もない昭和24年6月昭和38年、垣見油店が国産鉱油と東京石油ガスを吸収し垣見油化株式会社となる
国産鉱油株式会社の直営SS(社有)として誕生しました。
この国産鉱油株式会社も日本石油の特約店でしたが、
昭和31年ご縁があり弊社の傘下に入りました。
そして垣見油化の直営となったのは、昭和38年です。
従ってそれ以前の写真は、当社になかったのですが、
地元出身の石油部長が、古い写真を頂いて来ました。
昭和33年7月23日、台風の被害で写真に亀戸SSが、
偶然写っていたのです。先代の社長からも荒川や隅田川、
中川の護岸が整備されるまで、毎年のように水害にあっていたと聞いていました。
その時の合併と社名変更にともない、会社概要作成時に撮影されたと思われます。昭和50年、初の大改装 キャノピーを設置し計量器もノンスペースに
若い業界の方は、ご存知ないと思いますが、日本石油は、シェブロンとテキサコの
子会社である「カルテックス」と深い関係にあり、両社のマークが併用されていました。
右端のサインポールと防火塀をご覧下さい。サインポールの星印がCALTEXマーク
防火塀には、その星印と並んで左側にある日本石油のコウモリマークがあります。
最初の改装は昭和34年。タンクを2基増設したようです。そして昭和50年に亀戸SSの歴史は、弊社における先進的実験店SSだったかもしれない
全面改装をして頂きました。この時、昭和24年のタンクを撤去し、レギュラーを
10KLに代えたようです。また上の写真ではSSは広く見えるかもしれませんが、
実は、土地は変則の3角形で敷地面積も130坪しかありません。よって計量器は
ノンスペース型にして頂きました。しかしそのノズル本数を今改めて見てびっくり。
何と4本しかありません。そうなのです。当時の亀戸は、ガソリン販売50kl。
今で言えば誠に可愛いものでした。ちなみに前面道路は今は、6車線ある
国道14号いわゆる京葉道路です。僅か34年前、全面道路も隣地もこんなに
閑散としていたかと思うと、その後の日本経済の発展を実感するばかりです。
オイルショック以降、SS業界は、待ち(座売り)の運営では経営がなりたたなく最大の功績は、手洗洗車のみで門型洗車機の売上記録を大幅更新したこと
なって来ましたが、亀戸では、下記のような先進的な挑戦(実験)をしてきました。
1.深夜営業、24時間営業
SSの営業時間は7:00−21:00くらいが一般的でしたが、24:00まで或は
24時間営業にも挑戦してみました。実は、私も一兵卒として寝泊まりしました。
結論としては、全面道路が国道なので、ガソリン数量はそれなりに出ますが、
人件費は増え、労務管理上の負担も増すので、ガソリン等の利幅があり、更に
元売の支援があった時は、ビジネスとして成り立ち、継続していましたが、その
両方がなくなると、正直極めて厳しかったことは、申し上げるまでもありません。
2.洗車事業、深夜タクシー洗車、
洗車事業は、弊社はかなり以前から本気で取り組んできました。この遺伝子は
今も生き続け進化しています。また深夜の「タクシー洗車事業」も弊社の実験は、
極めて早かったのではないでしょうか。この深夜のタクシー洗車事業は、弊社は
東久留米SSと南田無SSでそのノウハウを確立し、亀戸SSでは、SS業界での
人材派遣で有名な「スペック」さんと提携し約3年間実施しました。
3.配送物品受取代行サービス(通称あずかロッカー)
資源エネルギー庁から補助金を頂き、SSにおける配送物品受取代行サービスの
実験店となり2年間実験しました。その詳細はこちらの通りですが、この時の経験が
今レンタカービジネスの弊社独自ノウハウとなっているのですが、何だと思いますか?
中央写真は、隣地の日商マンションの自治会での説明会写真です。
4.営業時間の短縮による経営効率化
また逆説的な意味で、営業時間短縮による、経営効率化も実験してみました。
最長24時間営業から7:00−24:00に、そして閉店時間を23時、22時、21時
また開店時も8時まで短縮しました。ガソリン数量は、若干は落ちるのですが、
人件費は大幅に安くなる一方、労務負担も大幅軽減し、完全フルサービスながら、
質の高いアルバイト等を育てることにより正社員2名での運営も可能となりました。
そして驚くことは、ガソリン販売は若干減るものの洗車は増えるという事実です。
そして最大の成功事例は、固定洗車機を撤去し、手洗洗車のみにした挑戦です。閉店理由は、コンプライアンス上の問題 ずばりタンクの老朽化です
ミニコンパクターという狭い場所でも営業可能な装置をつけた洗車機にも関わらず
車を出し入れする際、車の一部が歩道に出るので、安全確認のため、その移動
には2名必要という 狭い故の辛い現実がありました。歩道への「はみ出し」は
コンプライアンス上も問題です。そしてこの解決策を現場で何度も、所長会でも
何度も何度も、それこそ1年かけて話し合って、以下の結論を出しました。
「門型洗車機は撤去し、手洗い洗車と特殊コーティングのみとする」。アイタックの
Wingという「手洗い洗車機補助ロボット」は導入するが人件費は増やさない。
こんなことを本社からの「縦命令」でやったら絶対に成功しなかったでしょう。
これは現場の社員も経営問題に参加して討議するというES(従業員満足度)
の成功事例でもあります。その先は、2008年9月企画で報告の通り、ガソリン
僅か150klで洗車160万円(前年比160%)という、弊社のすばらしいギネス
記録となりました。そしてそのノウハウの集積したものを「垣見SSスクール」
として有料ながら一般公開したのも 亀戸SSの功績といえるでしょう。
亀戸SSは、お客様にも恵まれ、近隣のSS業者にも恵まれ、少なくとも昨年改めて 長年のご愛顧に深く感謝します。ありがとう そしてさようなら亀戸
10月以前までは、市況もそこそこ安定し、その意味では、最低限のしかし
確実な利益をあげてくれる、弊社にとっては大切な直営SSでした。
しかしその亀戸も「老い」と「時節」には勝てません。最も古いタンクは、前述
の通り、昭和34年。正に50年です。半世紀の長きに渡り、水害等に合って
来た海抜0メートル地帯の亀戸SSにとって、タンクの信頼性がもはや高くない
事は、コンプライアンス上極めて重要な問題でした。
しかし敷地130坪と150KLの販売では、元売の再投基準には達しません。
それでもSSを続けたいなら、当社がSSを土地から買い取り、全面改装しなけ
ればなりませんが、土地の単価は少なくも見積もっても坪200万円ですので、
投資総額は3億以上。金利3%ならそれだけでも年900万円。固定資産税や
その他の経費を含めれば、石油部が本社から借りるSSの賃貸料は、返済を
考えないとしても月100万円を越えるでしょう。しかし残念ながら150kl、口銭
7円、洗車150万円では、どう考えても収支&キャッシュフローはあいません。
そんな折、社員も通勤可能なところに、中古ではありますが、代替SSのご縁が
ありましたので、この亀戸は、9月末日をもって閉鎖することに決定しました。
現在亀戸SSをご利用頂いているお客様には、8月末からお話ししています。8月HPでの予告企画について
幸い近隣には素晴らしい新日石のSSが多数ありますので、各SSの社長に
直接電話でお願いしたり、お客様に地図を配布するなどして、ご迷惑をおかけ
しないよう最大限努力しております。しかし昭和24年開設ということもあり、
古いお客様からは閉鎖を惜しむ声や、ねぎらいのお言葉まで頂戴し、従業員
一同涙の出る想いです。お客様、長い間、本当にありがとうございました。
亀戸SSよ、長い間本当にありがとうそしてお疲れ様でした。
レンタカーは絶好調
4−5月のGW以降 6月は低迷となりましたが 7月8月は絶好調。
7月下旬に急遽1台増車。にも拘わらずその分も含めて全車両7台分の
投資回収を既に終えました。9月にはもう「3−4台増車予定」というこの
事実だけでもその収益力が分かると思います。お問い合わせはこちら
経営者の垣見と従業員の田中所長。立場の違う二人の初のジョイント講演
月刊ガソリンスタンド 9月号 の連載コーナーをご覧下さい。 また
日刊油業報知 8月18日号に紙面の2/3を使った詳細記事があります