富士山山頂に立ってみよう挑戦記
 野口&賢に随行し、垣見油化富士山クリーン作戦?も決行
新年おめでとうございます。あなたは富士山挑戦企画の 番目のお客様です。

さて2003年に、私は生まれて初めてという大きな体験を2つしました。
一つは、仕事に関することですが、ベトナム海上油田を見に行けたこと。
そしてもう一つが、昔からの夢でもあった、富士山に登りたいという夢をかなえたことでした。
この富士山挑戦の件を12月企画でちょっとふれましたが、是非その先を教えてほしいと、
何人かの方から依頼されましたので、HPにしてしまいました。よって新年はダブル企画です。

   

1.垣見油化には、自称ハイキング部があった
当社には、かなり以前から、ハイキング部があります。有志の集まりですが、社内では、
「お達者クラブ」と呼ばれていました。山歩きは私のガラではないので、それまで一度も
参加したことは、無かったのですが、もし富士山に登る機会があったら、その時は是非連れて
いって下さいとお願いしておきました。
それが現実味を帯びて来たのは、2002年の5月、社員旅行で河口湖に行った時でした。
河口湖に到着した時は小雨模様で富士山は拝めなかったのですが、翌日の朝食の時、
ホテルの大広間から見た風景です。実は、この写真、特に望遠とかにしていないのですよ。
その圧倒的な大きさと感動のお陰で、お達者クラブの富士山登頂が決まりました。
そして最初は、2002年の8月に決行の予定でしたが、メンバーの予定や週末の天候に
恵まれない等の理由で延び延びになつてしまい、そして2003年7月の最終土曜日に登頂
することを誓って、この年は断念しました。
2.事前トレーニングもキッチリやりました
実は、私、高校時代にとあるスポーツで、東京代表としてインターハイに個人団体とも出場した
経験がある体育会系の人間なので、40数?歳になったいまでも、体力は、そこそこ自信が
あるつもりです。しかしその一方で、「スポーツ、特に自然相手の登山を舐めてはいけない」
ということも、肝に銘じております。そこで、トレーニングは半年前からキッチリやりました。
とは言っても、ただひたすら歩くことが中心なのですが、最初はJR中央線にして、1駅、これを
週に1-2回、やがて2駅くらい、そして最終的には、会社のある千代田区麹町から、自宅のある
荻窪まで、2回程歩きました。距離にして12kmです。この12kmを2-3個先の信号を見て、青の
タイミングを予想し、もし赤になりそうな時は、小走りをして調整しながら、とにかく止まらない
ように歩き続けるのです。
皆さん、麹町-荻窪間のノンストップ速歩の時間はどのくらいかかると思いますか。
これがちょうど120分すなわち1kmで1分、時速にして6kmです。皆様も是非やってみて下さい。
もう一つやったことが、地獄の階段特訓です。当社の本社は八階建てのビルの最上階に
ありますが、三ヶ月前くらいからは、毎日1回はこれをエレベーターを使わず上っていました。
最初は息が切れ、足の筋肉も痛みますが、2週間もすると随分となれてきました。
そして、お達者クラブの筑波山トレーニング登山会にも(強制)参加させられました。
筑波山は、大した?山ではないのですが、これがやっぱりきつい。上りはなんかとクリヤー
しましたが、学生時代にテニスで痛めた、腰と膝に不安をもつ私としては、午後の下りで、
それが表面化しました。膝に力が入らず、それを庇ってももにも疲れが溜まって来るのです。
やっとの思いで、何とか降りては来ましたが、この筑波山トレーニングの疲れがとれてからは、
本社ビルトレーニングは、上りだけはでなく、下りまで加わったことは言うまでもありません。
3.コンセプトは、野口&賢の 「富士山ボランティアクリーン作戦?」
さて、今回の富士山登山は、もうひとつのコンセプトがありました。
皆さんも富士山は大好きだと思いますが、その富士山が世界遺産に選ばれなかった
理由の一つにゴミ問題があったそうです。そこで私は参加者全員に、単に登るだけではなく、
自分のゴミはすべて持ち帰るのは勿論ですが、「必ず一つ以上のゴミを持ち帰ってほしい」
とお願いしました。因みにコスモ石油さんが、登山家、「野口 健」さんの
「環境行政の不備の象徴である富士山を変えることにより、日本を変える」という活動を
公式に支援していたかと思いますが、当社も良いことは大いに真似させて頂いて、今回の
富士山登頂のサブコンセプトとさせて頂きました。
4.いよいよ決行、そのとき雨が、、
7月30日の土曜日、いよいよ決行の日が来ました。二台のミニバンに分乗した我々有志
8人は(男子5名、女子3名)は、府中の団長宅を出発しました。
途中、中央高速のパーキングで早めの夕食をとり、河口湖ICを経て富士五湖道路を経て
須走口に19:30に到着しました。ところが、東京を出る時は、晴れていたのですが、河口湖
あたりから小雨になり、須走口に到着したときは、もはや小雨というよりは、それなりの雨に
なっていました。下左写真は出発直前の元気な写真。右は雨の量がお分かり頂けるでしょう。

 

ガイドブック等には、雨具は必需品と書いてあるものの、最初から雨具が必要な時は、
「勇気をもって止めましょう」と書いてあったので、もし団長と副団長が中止と決めたら、
潔く今年も断念しよう、などと生ぬるいことを考えていましたが、正副団長は大した協議を
することもなく、な、な、なんと登山決行となりました。
全身、湿気は外に出すが雨は入らないとか言う、上下の雨具を着込んでいよいよ出発しました。
ちなみに東京の気温は30度、須走り5号目の気温は、約24度くらいだったと思います。
5.素人には難しい夜間強行スケジュール、そして雨の中のつらい登山が始まった
巷のガイドブックによれば、本来は富士山の上り方は、初日に、兎に角ゆっくり、体力を
温存しながら、そして高山病に注意しながら、7-8合目まで上りその山小屋で軽く一泊し、
日の出前に再び上り初めて、暗い内に山頂に着き、ご来光を拝むというのが、普通のようです。
しかし我々はつわもの?揃いなので、徹夜強行スケジュールを組みました。すなわち

須走口20:00―22:30六合目(瀬戸館)―23:50七合目―1:10八合目―2:00本八合目―4:00山頂
お鉢めぐり
(5:00久須志神社(山頂)―5:20白山岳―6:10剣が峰―6:40浅間大社奥宮―7:30久須志神社)
山頂8:00―8:30本八合目―8:50八合目―9:20七合目(下山道に入る)―砂走り―10:30
砂払五合目―(登山道と合流)― 11:00須走登山口 、というスケジュールです。

またガイドブックには、須走りルートは、登り正味5時間30分、下り2時間30分、登山距離7.2km
と書いてあるので、団長が決めたスケジュールだし、そのくらい余裕を見れば良いのかなあ
と思っておりましたが、雨の中、それも懐中電灯だけが頼りの、そして女性3人を含む我々は
この予定から大幅に遅れることとなりました。

予定より30分遅れて20:30出発、最初の6合目までは、森林帯です。とは行っても見えるのは
自分の足元だけなので、しとしと降り続く雨の中をただひたすら登って行くだけでした。
寒いだろうと思って着たはずの薄手のセーターが、判断ミスでした。その上に、レインスーツを
着ているので、雨の湿気と汗で、ジワジワと蒸してきて、下着が湿って来るのが分かります。
休憩時に脱ぎたいところですが、降り続く雨の中では、それもかなわず、地面は濡れて
いるので、座ることも出来ず、まずはつらいスタートとなりました
6.えっ6合目ではないの、本当に辛かったのは、その合目表示かもしれない
約二時間、予定より早く6合目に到着したかなあと、思ったそこで、大変恐ろしいことに気が
つきました。6合目だとばっかり思ってきたそこに「本五合目林館」と書いてあるのです。
そうです。六合目と思ってやっとたどり着いたつもりがあと1/3も残っていたのです。
一同がくっと気を落とす中、少しだけ嬉しいこともありました。今までは漆黒闇の中に、登山者の
懐中電灯の列しか見えなかったのが、遠くにその先の6合目と思わしき、山小屋の明かりが、
ぼんやり見えているのです。「よしっ」と、もう一度元気をだし、おにぎりを一個食べて、全員の
体調を確認してまた出発です。
そこから、また1時間半、黙々と登りようやく6合目、瀬戸館に24:00につきました。
先ほどより大きなな山小屋でしたが、既に深夜、宿泊の方が寝ておられるので、中に入って
休憩を取ることも出来ません。雨はまだまだしつこく降り続く中、元気を振り絞って出発です。

しかし、辛かったのはここからです。遠くに明かりが見えて、やっと辿りついて、七合目?
だと思ったら本六合。以降、八合目だと思ったら本七合目、九合目だと思ったら本八合目。
今度こそ九合目と思ったら8.5合目。これは神が我々を試すために作った試練なのでしょうか。

結局、次の七合目には、24時には着いていなくては行けなかったのですが、遅れること二時間
体力とそれ以上に気力の限界を感じた女性2名と男性1名を七合目の太陽館に残し、本隊は
また苦難の登山に出発するのでした。左は写真は、本五合目、右は八合目のご来光待ち。

 



7.いつのまにか雨が
そこから、また黙々と登りました。今度は5人で、登山速度も順調です。
また気がつくと、いつのまにか雨が止んで、霧になっているのが、分かりました。
そしてまた黙々と登る。そうすると、霧が晴れるというか、夜なのですが視界が開け、やがて
星が見えているのに気がつきました。やがては、天の川まで見えてきました。
そうか、雲海を抜けたんだ。そう思うと元気が出ては来ました。しかし困ったことがありました。
風が少し出てきて、気温がぐんぐん下がるのを感じます。そうです。最初の3時間、雨の中で
かいてしまった汗が、今私の体温をどんどん奪っているのです。変えの下着はリックの中に
入っていますが、一度裸になって下着を替える勇気も元気もありません。
それに七合目で2:00、八合目で4:00 これでは、とても山頂まで、夜明け前に辿りつけません。
我々は8合目で、ご来光を拝むことにしました。
8.あたりが明るくなってくると
下の左写真を見て下さい。日の出前4:30分8.5合目で撮影です。厚い雲海が見えます。
そうか、我々はこの中で雨と霧に悩まされて来たのか。そして遠くから見るとなだらかな
富士山の斜面が登っている我々には、本当に急に見えて感じていたのが分かると思います。
そしてこのあと、4:50この日の日の出=ご来光写真が本ページのトップのものです。

一方、八合目から上を見たのが左下写真です。登り坂が如何に急か分かります。
右下写真の、画面右上当たりに山小屋らしき強い光が、見えますでしょうか。
あれが我々を悩まし続けた、あそこが9合目?と思わせて実は8.5合目という魔の風景です。

9.山頂直前でまたまた試練が
八合目でご来光を向かえ5:00に出発しました。
しかし、夜が明けて、富士山の怖さを知るのは本当はここからでした。8.5合目を過ぎたころです。
実はこの頃、皆の体力はかなり限界に近づいて来ていました。道を間違えるということもないので、
各人のペースで登っておりましたが、なんと団長の体調が急変したのです。高山病でしょうか。
山頂は目の前にあるのですが、ご自身の判断で下山を決意されました。(流石です)
しかし、次は私でした、それは正に9.5合目というところでしょうか。これが高山病なのか、空腹で
血液内の糖分不足なのか、睡眠不足なのか、自衛本能なのか、全く分からないのですが、
貧血に近い状態なのです。とりあえず立っているのが怖くなり、無理にたっていると、頭が真っ暗
いや真っ白になりそうな感じです。既に、携帯酸素も使い果たし、チョコレートもなく、おにぎりも
食べる気すらしないという状況でした。逆に言えば、動けないので降りる元気もなく、思い浮かんだ
のは、もしヘリコプターを読んだら100万円とか皆言ってたかな?といことでした。
皆さん、エベレストの登山映画の風景等で、1歩1歩をそれこそ5秒かけながら、ゆっくり登って行く
姿を見たことがあるかと思いますが、今正にあの気持ちが分かるような気がしました。
しかし人間不思議なもので、山頂が直ぐ目の前に近づいて来ると、症状はなんとなく
軽くなりました。



10.ついに喜びの山頂へ




右写真は、山頂の浅間大社の前で撮った証拠写真です。7:00丁度に辿りつきました。
ちなみに気温は5度前後。日光が当たっていればそれ程寒くはありませんが、風にでも
吹かれたらと思うとやはり怖いものがあります。
左は、山頂の火口とその向こうに見えるのが剣が峰で、火口を一周するのがお鉢めぐりです。
早い人で1週、45分と聞きましたので、ここまで来たら一回りして帰ろうと思い、10分程歩き
始めたのですが徹夜で上って来た我々の疲労は予想以上でした。協議の結果、無理は
しないことにして8:00に下山を開始しました。
11.下りも辛かった
この「お鉢めぐりの断念」は、登頂を成功した4人の中では、一番体力を消耗した私にとっては
最良の選択となりました。筑波山で分かってその後鍛えたはずの下りが、私には、やはり
きつかったのです。砂走りは1歩で2-3m。とガイドブックには書いてありますが、砂の中には
もう嫌という程、大小の岩があります。砂とともに小さければ良いのですが、中途半端に大きいと
足をくじくことになります。また大きいと全くそれは動かない訳で、1歩2mの歩幅で足を滑らせ
ながら駆け下りてこようものなら、大変なショックとなり、やはり足を痛めることになります。
そして、案の定、私は足をくじいてしまいました。膝も、腿もぼろぼろ。
下りは、私が一番最後に降りてきたことは言うまでもありません。
7合目から下の、雲海の中では、キッチリ雨に降られ散々な下山となりました。
それでも8:00に下山を開始して、須走り登山口についたのは、12:00頃。結果としては、オンタイム
だったので、残りの3人の体力がすばらしかっただけなのかも知れませんが、下山中は
「もう二度と行くものか」と思いながら降りていました。

しかし山というのは不思議なものです。皆それぞれの思い出を作って東京に帰って1週間もすると
9合目で下山した団長が、「また行こう」と言い出し、「それなら俺も同行する」という有志が現れ、
「そんじゃ私も行かなくてはいけないかなあ」と、変な意地が沸いて来て、「皆が行くならまた
行こうか」と思っている私に、私自身が驚いています。

ちなみに申し遅れましたが、ゴミもちゃんと持つて帰りましたよ。心身ともに余裕がなくて、
皆が集めて来たゴミの写真を撮るなどということは出来ませんでしたが、変なもので、私の
持ってきたそのゴミはなかなか捨てられず、年末の大掃除の時まで私の宝物となっていました。

という訳で、皆さん。元気のある内に是非一度は富士山の、それも山頂まで登られることを
強くお勧め申し上げます。