第二次規制緩和(ガソリン輸入自由化)から丸10年 石油&SS業界は何が変わったのか、そしてこれからどうなるのか |
第一次規制緩和とは何か
石油業界の規制緩和は、よく言われる96年の、実は更に10年前から始められています。最も良かったことのガソリンの業界総粗利は何と54円
一昔前の業界の詳しい方は、「第一次規制緩和」と呼んでいるものですが、最近の方は
ご存知ないかもしれませんので、まずその内容を簡単にご説明させて頂きます。
1.給油所の取扱商品や販売施設に関する規制の緩和; 87年5月
2.二次精製設備許可の運用弾力化; 87年7月
3.ガソリンPQ(メーカー別生産割当)制度の廃止; 89年3月
4.灯油の在庫確保指導の撤廃; 89年9月
5.給油所に係わる建設指導及び転籍ルールの廃止; 90年3月
6.一次精製設備許可の運用弾力化; 91年6月
7.原油処理枠規制の廃止; 92年3月
これを見てまず驚きませんか。上記の1や5は、どこか廃業するSSを探してこなければ、
新設SSは作れなかった時代が、10年前、以前に、長くあったことを意味していいます。
同様に、精製設備や二次設備も勝手に作ったり増強したり出来ないばかりでなく、
原油をどのくらい処理し、各製品をどのくらい作るか、更に灯油に至ってはその在庫量を
600万KLにせよ等の「ご指導」がありました。従って簡単に言えば業界の殆ど総てが、
ご当局の管理下にあったと言ってもよいかもしれません。
恐らく戦後、脆弱だった日本の石油会社を守り育てる為に必要な規制として、始まったとは
思いますが業界の外からは、一般に言われる「護送船団方式」が石油業界にも適用されて
いたのかもしれません。
1982年。この年は、1978−1981年まで続いた第二次オイルショックの余波もあり、このような状況で始まった第二次規制緩和
SS業界は、ガソリン末端売価から原油代と税金を引いた業界粗利が、1L当り年平均で
54円と最も多く得られた年でもありました。
(但し誤解を招かないように補足させて頂くと、オイルショック当時、生活必需品である灯油の
値上げはダメ。その分は、ガソリンに上乗せして値上げするようにとの、今では信じられない
行政指導がありました。従って正確には灯油を始め全油種の粗利で判断して下さい。)
しかし1985年には、その反動もありこれが42円まで圧縮される厳しい状況となりました。
昭和石油とシェル石油の合併が1985年1月。また大協石油と丸善石油が合併してコスモ
石油になったのも86年4月なので、その厳しさの一端がご納得頂けるかもしれません。
第一次規制緩和の影響としては、精製設備の増強と高度化、更に原油処理枠の廃止と
また省エネ等の推進で一部油種の需要が伸び悩み、各石油製品の需給が緩みました。
またガソリンスタンドの新規建設規制の廃止の影響で、SS数も1994年の60421件という
ピークまで向け増え続けることになります。その当時の元売関係者が使っていた隠語で、
SSは、元売のガソリン販売を伸ばすための「蛇口」と呼ばれたこともあったそうです。
結果として、ガソリン市況は急落し、業界全体もSS単体もその収益も悪化し、SSの過当
競争時代が始まったと言えるでしょう。
そして1996年から「安定と効率のバランスの取れた石油製品供給の実現」を目的に、10年以前と最も変わったことは何か、(販売)元売編
いわゆる第二次規制緩和が始まりました。第一弾の1996年4月は、ガソリン・灯油・軽油の
輸入自由化でいわゆる「特石法(特定石油製品輸入暫定措置法)」の廃止です。
同年10月からは、流通効率化を推進する為に「揮販法(揮発油販売業法)」が改正され
@指定地区制度の廃止(競争激化地域には新規出店不可という内容の規制の廃止)
A登録制度の簡素化等とともに、環境と安全を確保する為、「揮販法」にかわり
「揮発油等の品質確保等に関する法律(品確法)」が施行されました。
また、安定供給を確保するため「石油備蓄法」が改正され、製品輸入する場合は、
当該製品での備蓄も義務化されました。
1998年4月には、消防法等も緩和され、日本で始めてのセルフSSが誕生したこと以降は
皆さんの記憶にも新しいと思います。そしてこのセルフ解禁が、更なる過当競争に拍車を
掛けることになりました。
まず、元売自身も合併等である程度の痛みを余儀なくされたと思います。具体的には、10年以前と最も変わったことは何か、精製能力編
1985年 1月の昭和石油とシェル石油の合併。
1986年 4月の大協石油と丸善石油の合併でコスモ石油の誕生。
1992年10月の日本鉱業と共同石油の合併でJジャパンエナジーJomoの誕生。
1999年 4月の日本石油と三菱石油の合併で日石三菱、後の新日本石油誕生。
2000年 7月は東燃とゼネラル石油が合併し東燃ゼネラル石油となり、
2001年 7月には、キグナス石油精製を吸収合併。(販売元売としてのキグナス石油は
2004年12月に三愛石油の子会社となり、いわゆる元売ではなくなることとなった)
2002年 9月には、エッソ石油とモービル石油が合併しエクソンモービル誕生。
更に東燃ゼネラルと統一ブランド化を推進して行くこととなりました。
2002年4月には、新日石Gが、カルテックスから株を買い取る等して、興亜石油や
東北石油を吸収合併した新日本石油精製が、誕生しています。
従って、古くは、日石、三石、出光、共石、丸善、大協、九石、昭和石油、シェル石油、
エッソ、モービル、ゼネラル、キグナス、三井石油、太陽石油と、15元売ありましたが
現在ではこれが、新日石、出光、コスモ、Jomo、九石、昭和シェル、エクソンモービル、
太陽、三井と9元売にまで集約されるとともに、精製提携や物流提携まで含めると
出光-新日石(九石)-コスモ、昭和シェル-Jomo、EMG、と大きくは3Gに集約されつつある
との言い方もされています。
では、上記の集約を精製能力という点に絞って分析して見ましょう。現在の日本国内の10年以前と最も変わったことは何か、SS編
精製能力は、エネ庁及び石油連盟発表の資料によれば、平成17年3月末現在、
常圧蒸留装置で476万BDあります。これを我々販売系の人間に馴染みやすいKLでの
月間能力に換算すると 476万BDx159L/1000L X 30日=2366万KLとなります。
では、日本の生産能力のピークはいつ頃だったのでしょうか。実は1982年度末と以外に古く
その能力は、596万BDもありました。
また直近のピークも平成12年3月末の537.5万BDです。従って直近の5年でも11.5%、
また過去のピークからは、20%も設備能力の削減(設備廃棄)をしたことになります。
ところで製油所が効率的に運用されているかどうかの判断は、設備の高度化等の問題も
ありますが、その「稼動率」で見るのが最もシンプルでしょう。手元のエネ庁発表の過去資料では、
1982年度は55.1%と非常に低かった稼働率が、直近ピークの平成12年度では79.1%まで
大幅に改善し、そして平成16年度には84.4%まで上昇しています。従って精製元売としても、
かなりの効率化の為の努力をし、それが数字となって現れていることが判ります。
では、我がSS業界の方は、規制緩和から10年で、どう変わったのでしょうか。SS業界で結果的に唯一勢力を伸ばした存在とは
消費者の立場に立てば、最も大きな変化は「ガソリンが安くなった」ことでしょう。
湾岸戦争後の影響が残る1993年。この時は原油が1バレル17$、円レートが108円/$
CIFで11.4円/Lの原油に対し、末端のガソリン価格が年平均123円/Lなので
業界全体の総粗利は、55円/Lもありました。
しかしその後は下落を続け、現在は、1バレル 57ドル、1ドル119円で、原油42円/Lの
輸入CIF価格に対し、末端市況は消費税込み129円、(税抜123円)となり、ガソリン税等
税金を除いた総粗利は、25円と正に前述の半分以下となりました。
次にあげるべき事は「SS数が減った」ことです。1994年のピークでは、60421のSSが
約12000SSも廃業、また32000社あった事業者数も、今は25000社まで減少しました。
減ったSSの多くは元売系列下のSSでしたが、その中から廃業せず独自のマークをあげ
営業を継続している元気なSSも数多くあります。以前は無印と呼ばれていましたが、
今では業界は勿論、一般にも認知され「プライベートブランド」(PB)という、元売系列に
属さない新たなグループが社会的地位を得たことも自由化後の特徴と言ってよいでしょう。
でもこの10年、SS業界において相対的にその勢力を大幅に拡大した存在があります。セルフにみる元売子会社特約店勢力
それは元売の資本が多く入った元売子会社系特約店だと言えるでしょう。
元売と販売店では見る視点や立場が違うので、双方に異論はあるかと思いますし、元売が
意図的にそうしたとは申しませんが、結果的にそうなったのは、やはり事実でしょう。
この元売子会社系特約店のSS数や、そのシェアーを正確に把握する数字はありませんが
元売がその意向を強く反映している「元売会社がSSの土地建物等を所有する いわゆる
元売社有SS数」は公表されています。
1996年は、55000箇所あった元売系列SSの合計の内、元売が何らかの形でSSを
所有し、特約店等に貸している数は、12000箇所、全体に占める率で22%ありました。
2005年3月末現在では、PBや全農等を除く元売系列のSS数、38000箇所の内
8860箇所が、元売の所有となっています。23%の割合なので大して変わらないようですが
過去10年で元売の資本が入り、子会社的存在になった旧プロパー特約店(販売店)名義の
ままのSSが、全くカウントされていないので、これを加えると相当な数になるでしょう。
更に1998年4月に解禁されたセルフSSにおいては、非常に顕著な特徴が出ています。都石で検討されている分離法に頼らないためにも
2005年6月時点での全国4240箇所のセルフの内、元売が所有するSSは2173箇所と
何と半分にも達しています。確かにセルフSSは、既存のフルサービスSSに比べて、
広い土地面積を必要とし、営業開始後の人件費を少なく抑える分、初期の設備投資額は、
フルサービス型に比べて高額になります。また既存フルサービスSSで、結果として元売
所有率の高い、面積の広いSSを改造候補にしたということも、元売社有比率が高い要因
であることは間違いありません。
しかし一般にセルフSSは、フルサービスSSの3倍販売していると言われているので、
セルフSS比率が10%となった今、数量比率では、30%と言って良いのかもしれません。
その言わばセルフ軍団に大きな影響力を占める元売子会社勢力が、通常のフルサービス
SSを運営する元売子会社勢力と共に、自己資本系プロパー特約店や販売店SSと、
「対峙」しているという見方も出来なくはありません。
通常の日本の独禁法では、市場全体対最強A社のシェアーという縛りはあるものの、
この対峙すなわち「元売等巨大資本SS」対「地場小規模資本SS」という構図でのシェアー
規制はもちろんありません。
しかし、大国であった米国と旧ソ連が対峙する中でも大国としての共通の利益は、実は
かなりあって、その利害の一致する点では話合っていたという事は、よく知られています。
業界有識者の間では、元売子会社対プロパー特約店販売店との割合は、SS数でほぼ拮抗
販売数量では、既に元売子会社SSの方が、過半数を超えたとも言われています。
ところで米国では巨大メーカーが小売に進出しては、巨大メーカー関連子会社SSと小売を
専業とする地場の小規模資本SSと本来の意味での自由で公正な競争は出来るはずがない
として、メーカーの小売参入を禁止する「分離法」が、首都の他6州でそれぞれ成立しています。
規制緩和や自由化とは、自由で公正な競争のものに行われなければならないはずです。
昨今、原油開発等、上流部門で1000億円以上の利益をあげる元売のその100%子会社と
その元売から通告される仕切価格によって、競争を余儀なくされる一般の、特に販売店SS。
このような状態で、果たして本当に公正な競争原理が確保されるのかは、非常にむずかしい
のかもしれません。少なくとも、弱者であるプロパー特約店販売店が、
「元売子会社が、率先して安値販売をしているとは言わないが、地域の最安値に追随している
のは、自分の子会社に、結果として安く仕切っているとしか思えない。もし決算等で赤字補填
をしていないとしても、子会社を整理統合する際は、債務超過は、解消しなければならない
のだから、結果的には子会社救済ではないか。このままでは、SS業界は零細な自己資本系
会社は生き残れず、巨大会社か元売子会社特約店しか、生き残れないのではないか」
と本気で心配しているのもまた事実です。
従って元売は、資本的には弱者であるプロパー会社から、そういう疑いを持たれないような
より公正な仕切体系の確立や、販売活動においても、その実行が必要であると思います。
SS業界として血を流して来たこの10年。
規制緩和の切磋琢磨が、結果として大企業の市場独占を加速しただけと言われないよう、
元売は勿論、特約店、販売店、真摯な経営精神で、業界を正常化する必要があるでしょう。
更にSS業が好きで、経営者として普通の能力と資質を持ち合わせ、相当の努力をしても、
SS経営が難しいのなら、その改善は、SS業界全体が、真摯に取り組むべき問題でしょう。
また2月企画の最後にも申し上げた通り、一部地区でこれ以上SSが少なくなれば、それは、
「SS過疎問題」 と言っても良いでしょう。 自由主義経済の下、その「SS過疎問題」に
歯止めをかける最後の頼みを「政治」に求めないよう 元売、特約店、販売店すべての経営者が
モラルを持ってSS業界の最低限の秩序を回復し、SSが将来に亘っても、本当に魅力ある
サービス・小売業であり続けることを願っております。
さて、業界の厳しい話題が続いてしまいましたので、最後は、弊社麹町本社近くの名所
千鳥が淵の満開の桜をお送りします。 2006/3/29 PM 15:00 撮影