関東大震災から100年
 私個人&SS業界人としてどう対応するか
あなたは防災対策企画の 番目のお客様です。
9月1日は関東大震災から100年です。この日が防災の日となったのは、
この教訓を忘れないために設定されたのです。大正2年生まれの亡父も
10歳で経験。命からがら逃げるのが精一杯だったと言っていました。
また私は自称防災オタクでもありますので、今月は関東大震災の最新分析
と阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震との比較。そして私個人と
業界人として防災対策を考えました。皆様のご参考になれば幸いです。
            2023/8/30 初掲載  更新 文責 垣見裕司

関東大震災の最新研究
1923年大正12年の9月1日の正午前。相模湾北部を震源とする
M7.9の巨大地震が発生しました。地震そのものの規模は東日本
大震災の方が大きいのですが、人口密度の高い地域の火災により
死者14万人(10.5万人等諸説有)被災家屋44万棟。被害総額55億円は、
当時の国家予算の3年分という観測史上最大の自然災害となりました。
 震源地は伊豆大島北端の北約15km付近の相模湾海底ですが、
激震地域が三島から伊豆半島を横切り甲府、熊谷、下館、土浦、
そして房総半島を横断して勝浦付近にまで至り、その被害範囲は
阪神淡路大震災の約10倍です。
  そして1993年に岐阜測候所から当時の波形が発見されたこと
により、本震は11時58分のM7.9。その3分後の12時01分にM7.2。
5分後の12時03分にM7.3という巨大な揺れが三度発生した
「三つ子地震」で、本震が神奈川県西部、続いて東京湾北部、
山梨県東部を三つの震源とする複合地震だったことが判明しました。
 一般に関東大震災は東京での火災旋風よる死者数が多かったので
東京の地震と思われがちですが、被害は東京、神奈川、千葉、埼玉、
静岡、山梨に及び建物倒壊率は神奈川が最多でした。東京東部と
横浜小田原は壊滅的な打撃を受け死者数は10万人以上14万人まで諸説
有り、千葉で1373人、静岡で450人、埼玉で280人とのことです。
 
実は津波も発生していた
東日本大震災での気仙沼の海上火災同様、関東大震災でも横須賀で
重油タンクが爆発炎上。横浜港の大半は海中に没したので、我々石油
業界人としては今の臨海部のタンク群は心配です。
関東大震災では津波も発生。最短5分で襲来していたことを知りました。
熱海市では12m。千葉県相浜で9m、洲崎で8m、三浦で6m。
鎌倉市由比ケ浜では別荘や海水浴客に津波が襲来し、300人が
行方不明となり、また神奈川県西部の根府川で、大規模な土石流が発生。
集落約170棟が消失。東海道線根府川駅に停車中の列車も飲み込まれ
乗客112人が死亡しました。
日本橋魚河岸もこの大震災で壊滅。その後、現在の築地へ移転しました。
垣見油化の前身垣見油店も全焼。職場と自宅を両方失い、持ち出せた
のは300年続く家系図と会社の株券だけで、父によれば大石内蔵助から
頂いたと伝わる感謝状はこのとき焼失しました。
最大の死因は火災旋風
地震後に人口250万人東京市の約132ヶ所で一斉に出火。関東地方は
折からの風速10m/sの強風で、瞬く間に延焼。3日正午頃まで丸2日間
類焼し続け、市内総戸数63万8千棟の内、約40万棟が全焼したのです。
 最も残念なのは倒壊した家屋から脱出し、本所区(墨田区)の2万坪の
空き地に人が避難した約4万人が、1日の夕刻。四方から火災旋風
(火の竜巻)に襲われ、約9割の方が焼死したという惨劇です。
 原因としては大八車で家財を積んで逃げたので避難所が密集。その家財
にも延焼。火災旋風は東京で110個。横浜で30個。高さは50mから300
mとの報告もあります。1日深夜の東京の気温は火災で46度まで上昇、
5万人が関連死したとも言われています。
 警視庁など多くの官庁や役所等の行政組織も全焼。壊滅的な被害を
受けたことも、被害が拡大した一因と言われています。
東京の家屋倒壊率と死因割合
東京の揺れによる被害は、隅田川より東側が最も大きく揺れ、この地域の
家屋倒壊率は20〜30%近くに達したそうです。特に隅田川から柳島一帯、
本所の横綱から被服廠跡地、深川の大部分の被害が大きくなりました。
これらの特徴は、深川、小石川や千束池、姥池などの埋立地で比較的
地盤が弱い地域でした。
当時の東京市社会局の統計によると、焼失家屋戸数の総計は40万
7992戸で、地震発生前の家屋数が63万8860戸比64%の家屋が
火災により焼失。
罹災人口の総計は150万5029人で、これも地震前の人口243万
7503人に対し65%の人が家等を失いました。震災当日を生き延びた
人の翌日以降の水や食料の確保は大変だったでしょう。
震災の東京市の死因は東京市社会局の調査では、死者約9万
1000人のうち、火災による死者が83%の約7万6000人。
家屋倒壊などによる圧死者が12%で約1万1000人。
その他、行方不明者のうち火災によると思われる割合は90%、
圧死者が4%となっています。
火災による重傷者は62%、倒壊による重傷者は28%です。
地震その時 10のポイント
現在東京消防庁では地震その時10ポイントを作成しています。
「地震だ火を消せ」は昭和53年に作成されましたが、その後各震災の
被害を参考に4回見直され今は最新版が完成しています。
T地震時の行動
 @地震だ!まず身の安全。安全な空間で揺れが収まるまで待つ。
U地震直後の行動
 A落ちついて火元確認初期消火。揺れが収まってから火の始末。
 Bあわてた行動けがのもと。
 C窓や戸を開け出口を確保。
 D門や塀には近寄らない。
V地震後の行動
 E確かめ合おう、わが家の安全隣の安否。
 F協力し合って消火・救出・応急救護。
 G正しい情報、確かな行動。
 H避難の前に安全確認 電気ブレーカーとガスの元栓切り。
 I火災や津波確かな避難。

三大震災と熊本地震の概要比較

前表は各震災の概要比較で、関東大震災は火災死です。阪神淡路は
建物倒壊による圧死とその後の通電火災。東日本大震災は雪を考えて
なのか木造でも強固で建物倒壊死や火災死は少なく、津波の溺死です。
従って津波てんでんこ。オオカミ少年覚悟で、とにかく逃げて下さい。
過去の教訓が活かされたのは、熊本地震です。あの震災でも火災は
皆無に近いのです。理由は色々ありますが、ガスのメーターがマイコン
式となり地震を感知して遮断したこと。電気は倒壊を免れ避難する時に
一部の人がブレーカーを切ったこと。最大の功績は再通電の際、九州
電力の作業が適切だったことだと敬意を表します。
以上を総合するとガスメーターは大丈夫なので今後は感震ブレーカー
や漏電遮断機の補助金付きでの設置推奨が望まれます。

垣見流の震災・防火防災対策

最初にコストゼロで出来ることを皆様は既に始めています。本HPを
読んで関心を持ったはずなので、次は震災が起きた時を考え、最少の
コストで何が出来るか@対策を考えて下さい。A建物を倒壊させない。
昭和56年耐震基準を満たしていればまず大丈夫でしょう。ご自宅がもし
木造で、昭和56年以前の築なら補助金も出るので耐震補強も考えます。
耐震補強は完璧にやらなくても例えば一階の柱の少ない広い部屋の壁
の角に、筋交いや構造用合板を入れる。B家具等の転倒防止や大型
液晶テレビの固定器具も安価なのでDIY感覚でやりましょう。
C停電対策も考えて下さい。私は自宅もSSも停電対策しています。
自宅は15V程度の自動車用バッテリーに充電し易い電圧の太陽光パネル
を選定し、自動車用の廃バッテリーに充電。それを非常時や夜間に書斎の
テレビやWifi、パソコン電源等に使ってます。今は車がアルファード
HVになったので、ガソリンさえあれば1500W使えるのは心強いです。
DSSの停電対策としては、非常用の自家発電機と社員スタッフや帰宅
困難者の携帯のバッテリー充電用に車のバッテリーに繋ぐDCACイン
バーターを全SSに各1台用意しています。
E中水(雨水)の確保。飲料水は勿論、断水を想定して帰宅困難者の
トイレ用に雨水を500Lタンク(市価2万円)に貯め、配管も社員に
DIYで設置してもらいました。出来れば自分でやることが基本です。
F小学校お泊まり訓練。これは私見ですが、4年生は夏、親と一緒に。
6年生は冬に子供と先生だけで、電気、ガス、水道を使わず小学校に
1日泊る訓練を希望者だけでも実施することを関係者に提唱しています。

SS業界(全国石油商業組合連合会)からの提言は

SS業界というか全国石油商業組合連合会(通称全石連)が旗振り役と
なって行っている活動は、ガソリンや軽油等を使用する自動車の燃料
タンクが半分程度になったら、とにかく満タンにして下さいねという
「満タン+1缶運動」です。この一缶は灯油のことです。
全石連HPはこちら http://www.zensekiren.or.jp/mantan-undo/staff


災害が発生すると必ずと言ってよい程、ガソリンや灯油を求めるお客様が
SSに殺到します。東京では物的被害がほとんど無く、計画停電のみの
影響だった東日本大震災の当社ですら、下記写真の通りです。それでも
スタッフは身の危険を感じたと言っていました。従ってお客様にして頂ける
ことは、こうなる前の事前の準備。すなわち半分まで減ったら給油する。
これはお客様のお車でタンクで、ガソリンを「備蓄する」ことなのです。

1km以上の長蛇の列。片側1車線のバス路線。警察の指導は50mに
一人スタッフの配置ですが人員不足で対応不可。SS閉店するとお客様
からは売り惜しみするなとの厳しい声。閉店時も車列は解消されません。
 もう一つは、停電でも使える暖房の確保です。昔ながらの灯油ストーブ
(上写真)をお薦めします。電池で着火でき、暖房とともに照明にもなり、
やかんを乗せればお湯も沸かせますし、お餅を焼くことも出来ます。
私の自宅は東京の杉並なので寒冷地ではありませんが、それでも
冬のベストミックス暖房として1台購入し適宜使用しています。


次にLPガス業界の対応です。特にLPガス充填所は
地域の約10万軒にLPガスを供給しているのでその
営業を継続しなければなりません。その為数年毎に
東京都や東京都LPガス協会、そして東京消防庁
福生消防署と合同訓練を行っています。
詳細はこちらからどうぞ

SS業者としての震災発生時の対応

 まずは@事前の準備です。補助金が出るので発電機は是非設置して
ほしいと思います。次は社員スタッフが最低3日間生き延びるための
A備品の購入。停電対策と中水の確保。Cそして震災発生時の行動
マニュアルです。正直、垣見油化でも完璧なものは出来ていなかった
ので、8月3日の所長会で相談して以下を纏めてました。

 SSの現場でも地震直後は前述の10項目の通りですが自身の安全と
職場の同僚の安全を確保したら、次はご家族やご自宅の安全確認でしょう。
 SSは燃料供給の社会的な重要インフラではありますが、民間企業
なので、社員やその家族の安全確認を最優先し、自宅に帰る必要が
ない場合は、SSの営業を再開出来るかの検討をすることにしました。
 社員の家族の安全が確認出来たらSSの設備他の点検で、配管やタンク
からの漏れ。特にノンスペは屋根が揺れているのでしっかり検査します。
 次は地震発生時の時刻も重要です。昼か夜か。そして一番重要なのが
停電しているか否かで、営業時間中の夜が一番深刻です。
 もし停電したなら、まず非常用の食料等備蓄品の確認です。非常用
発電機はありますが、給油可能なのはガソリン2ポンプとPOS1台です。
東日本大震災の時、東京は計画停電のみ。SSのハード的な被害は皆無
だったにも関わらず、製油所からの石油製品の出荷が止まったのでお客様
の長蛇の列は1週間続き、一時はスタッフの身の安全まで心配しました。
 従って停電時には安易に一般営業は再開出来ないかもしれません。
都の緊急車両用に各SSガソリン1KL、軽油0.5KLを保管しているので
「緊急車輌に限り営業中」の表示が良いでしょう。それでも緊急車両に
準じるお医者様や支援物資トラック等からの要請は受けるのが現実的です。

 私の停電想定はせいぜい10分から丸1日での回復です。停電や断水が
3日も続きSSの食料備蓄も底をつき、コンビニ店頭の製品もなくなり、
SSの営業より社員やスタッフの為の飲料水や食料の確保が優先でしょう。
大規模災害時の鉄則。それは自分の身は自分で守ることです。都民は
1200万人もいるので消防や警察、都の支援は期待出来ません。
最低3日。出来れば1週間。自力で生き延びるしかないのです。

 肝心なのは大地震が発生してから出来ることより事前に準備しておく
ことが大切です。あとは訓練。例えば私の会社での昼食は、非常食の
期限確認も兼ね年1回、カセットコンロで作るラーメンを食べています。

 最後に 五七五標語を一句。 考えて 事前の準備と 訓練を