今 ガス体エネルギーが面白い NO2
 業界の垣根など存在しなくなったLNG・LPGを考える
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今、石油業界は、誠に厳しい状況に追い込まれています。SS段階では4月以降、粗利は大幅減。
原油価格が乱高下を繰り返しており、それに連動して元売会社も卸価格を上げようとするのですが
海外からの製品価格がいのにもかかわらず、その卸価格を決定する際の参考となる業転市況の
需給が閉まらないのは誠に深刻で、系列価格が一旦は値上げされるものの、途中から値下げの
繰り返しです。仕入れが下がるならSSには影響がないと思われるかもしれませんが、末端市況は
どんどん下落。その結果どういうことが起きたか。安売りで有名なジョイフルホンダを下回る価格が、
地価の高い東京で、それも系列マークを上げたSSで多数存在しているのです。
 一般的なSSの仕入れ価格は、ジョイフルホンダの販売価格に近いといわれていますので、
常識では全く考えられない価格です。周りの市況に合わせた弊社のあるSSの口銭は何と2円。
 地下タンク問題を乗り切るために多額の投資をしたSSにとっても予想外の市況悪化ではないか
と思います。そんな時、本当にありがたいのは、弊社には営業4本柱があるということです。
 その一つのLPガスにちなみ、4月企画で久しぶりに書いたガスの話題が評判だったので、
今月はその続編にしたいと思います。                    文責 垣見 裕司

ガスの呼び方の定義

まずガス業界で使われているガスの呼び方やその定義について確認しておきます。
一般消費者に「都市ガスが供給しているガスは何ですか」と聞けば、「天然ガス」
とお答え頂けるでしょう。 「その天然ガスの主成分は何ですか」と更に聞いて
「メタンガス?」とお答え頂ける方は、理解の深いガス通のお客様です。
この天然ガスには、何となく綺麗とかクリーンというイメージがあるので、都市ガス業界に
とってこの呼び方が、多くのユーザーに定着したのは、大成功と言えるでしょう。
LNG(リキッドナチュラルガス)は、液化させた天然ガスのことで、島国の日本が輸入する
天然ガスは、この液体状のLNGを指します。 しかし世界で天然ガスと言えばパイプラインで
供給する気体状のガスです。
 一方、各家庭に個別に配送されるガスは、LPガス(液化石油ガス)とかプロパンガスとか
何故か物性上の名前で呼ばれます。昭和30年代、プロパンガスを販売に行くと「プロパンって
どんなパン?」と聞かれたこともあったそうです。以来、LPガス業界は、なんとなく、その
マイナーなイメージのまま、歩んでしまったように思います。
熱量や匂い物性上の違い
メタン、エタン、プロパン、ブタン等の各ガスは、分子結合上の水素と炭素の数の違いは
ありますが、この4つは常温で気体の無色無臭の燃えるガスです。メタンは空気より軽く、
プロパンやブタンは重いのが特徴です。 メタンというと、淀んだ川のヘドロような川底から、
プクプク上がってくるので、臭いというイメージがありますが、その臭いは硫化水素等が
原因なので、メタンもプロパンも本来は無色無臭です。
 家庭で使用するガスが少し臭うのは、ガス漏れを人が感知出来るようあとからつけた
着臭剤の匂いです。
 燃焼時の熱量は、プロパンの方が二倍弱高く、その分必要な酸素の量も多いのです。
液化し易く、液化すると気体の体積の250分の1になるのはLPガスの特徴です。
メタンも液化させると600分の一になりますが、マイナス162度への冷却が必要です。
 天然ガスやLPガスの価格や数量に関して注意を要するのは、単位が異なることです。
LPガスの上流は、重さのトンやkg、末端の販売は体積のm3です。
LNGも輸入の単位では、重さであるトンを用いますが、価格は、トンのほか、英国熱量単位
である100万BTU、(100MMBTU)でも表します。これは、各産地の天然ガスの成分が
違うので、これを同一熱量にして換算し、価格を比較するためです。
そして末端の都市ガスの取引単位は、気体の体積であるm3です。
各社熱量が違いますが、代表格は東京ガスの13A(41.8MJ/m3)です。
 また都市ガス、簡易ガス(昨今はコミュニティーガス)、LPガスという場合には、
都市ガスは、導管供給。簡易ガスは70個以上の集団供給等、LPガスは、容器による
個別配送とその物流や業態の違いを表す場合もあります。

ガス体エネルギーの歴史 その誕生は明かりだった
日本でのガス事業の始まりは、明治5年(1872年)今の太陽暦の10月31日。
場所は横浜の神奈川県庁前で、日本初のガス灯が、十数基点灯された時でしょう。
以来都市ガス業界では、この日が、ガスの誕生記念日とされています。

この頃のガス灯の明るさは、今の電球だと15ワット(40ルクス)くらいでした。そして、この年
の末には、横浜のガス灯は240基になりました。明治7年(1874年)には、東京の京橋と
金杉橋の間に85基のガス灯が輝くようになりました。そして明治9年には東京府瓦斯局が
開設され、それが前身となり明治18年、東京瓦斯会社が芝区浜崎町に誕生しました。
ちなみに東京電力の前身である東京電燈会社が明治19年の創立です。

実は規模は全く違うので恐縮ですが、弊社の垣見油化も創業も明治4年です。
その油の使用目的は、熱源ではなく、やはり灯り用の油の販売でした。国産の菜種油や
クジラから取った鯨油ではなく、英国や米国から石油を輸入して販売したのです。
その理由は「石油が、ろうそくの3倍も明るいこと、更に石油が樽で輸入して来るにも
関わら、安かったから」というのは、昨年7月の弊社141周年企画で説明した通りです。
従って、ガスも石油も、そして電気も、最初は灯りのエネルギーとして始まったのです。

その灯りは、明治19年オーストリアのヴェルスバッハが「ガスマントル」を発明して、明るさが
5倍になり最盛期を迎えますが、大正4年をピークに徐々に電灯に代わってゆき、昭和12年
には姿を消してしまいました。
その一方、明治35年に、日本初のガス器具特許品、瓦斯竈(ガスかまど)、明治37年には
ガスストーブの販売が開始され、灯りから、家庭での厨房用や熱源としての利用に変わって
いきました。

この当時のガスは、石炭を蒸し焼きにして作った、石炭ガスです。
また残った石炭は、コークスとしてセメント会社等に販売して、
初期の赤字を補てんしていたようです。

昭和14年頃には、東京の消費者件数は、100万軒に拡大しますが、
 太平洋戦争で都市ガス業界も壊滅的な打撃を受けます。 戦後は
昭和24年、ようやく24時間供給を10年ぶりに再開しました。
昭和27年、石油を原料とするガス製造装置が、東京千住で可動開始
昭和30年、東京ガスの需要家100万件になり、昭和13年の水準に戻る
昭和32年、ガス自動炊飯器、
昭和40年、バランス型(BF)風呂釜の販売開始。
昭和44年、LNGタンカー第1船が根岸工場へ入港、
       LNGの歴史は意外に浅いのです。
昭和47年より都市ガスの天然ガス化が、開始されました。
右写真は足利市に設置されていたガス灯(GASMUSEUMで撮影)

Pガス業界の歴史 弊社の得意とするところです
LPガス業界の場合は、その誕生の日を特定するのは難しいのですが、昭和4年。ドイツの
飛行船ツェッペリン号が霞ヶ浦に飛来した時、エンジン燃料としてプロパンと水素の混合気体が
使われており、これを米国から取り寄せ供給した記録が残っています。
LPガスは、その液化石油ガス(リキッドペトロリアムガス)という名前が示す通り、原油を精製
する際、ガソリンより軽い留分として最初に出てくる製品です。昔は、その場で燃やして捨てて
いたということなので、オフガスと呼ばれたいたこともありました。それを石油精製会社が
液化して販売するようになったのが最初ですが、LPガス事業としてのスタートは、昭和30年代、
そして中東から製品としてのLPGが輸入されたのが昭和36年です。

実は弊社がLPガス部門の前身である東京石油ガスを立ち上げたのは、昭和30年です。
最初会社の名前は、日本石油瓦斯にする予定だったのですが、石油の取引先である
日本石油に報告に行ったところ、日本石油もLPガスの販売子会社を作るので、その名前は
日石に譲ってもらって、垣見さんは東京石油瓦斯にしてと頼まれたという誕生秘話があります。

当社の供給エリアは正に都下でした。設立時は、本社のある東京麹町でガスのボンベの
充填作業を行っていたのですが、都市ガス配管の西への拡大とともに、昭和40年に田無市
(今の西東京市)。そして昭和50年に西多摩郡瑞穂町に充填基地を移転させていったので、
その変遷ぶりがお分かり頂けるでしょう。
弊社は直売もしていましたが、販売店への卸もしていました。その主な販売先には、
炭の販売を主力とする薪炭系販売店、灯油を主力とする灯油系販売店、そして
ガソリンスタンド系販売店。そしてこの時期に起業されたLPガス専業店があります。
ちなみ昨今話題のオリンピックですが、あの東京オリンピックの選手村の聖火は、当社の
納入したLPガスで燃やしていたというのは、今では自慢話の一つです。

 以降のガス業界の、少なくとも普及して来た機器歴史については、同時のように思います。
昭和42年には、家庭用の集中暖房としてガスセントラルヒーティングの販売を開始しました。
大昔日本テレビで スパイ大作戦という名ドラマがありましたが、その番組の最終で
「日石ホームヒーティング」というCMがながれ、その最後に1秒くらい「垣見油化」と画面
いっぱいに、映ったのを子供心に覚えております。


LPガスの物流・商流構造   図式化したものはこちら(現在2012年度版に変更中)

LPガスの流通構造の方が業界としてはシンプルなので、LPGから説明します。
2012年度に販売されたLPガスの総数量は、約1694万トンです。 この内、中東産油国等から
LPGで輸入されたのは、約8割の1320万トンです。
全世界に約280隻あるLPGタンカーの内、日本が主体的に傭船しているのは約44隻で、ほぼ
毎日日本に運ばれてきます。
残りの2割は、原油を精製した段階で最初に出てくる製品がLPGで、これを使用しています。
従って、国内の油田やガス田から、資源としてのLPGがとれるわけではありません。
LPGの輸入基地は国内36カ所。輸入元 売会社は15社。国家備蓄は2013年に完成した
倉敷や波方も含め全国に5カ所あり、総備蓄量は150万トンで約50日分です。
36か所の輸入基地や製油所、更に二次基地からは、主にLPGローリーで、全国約卸売業者
1100社の商流を経て、全国2139か所の充填所や全国1576社のオートガススタンドガスに、
LPGローリーで運ばれます。
充填所では、50kg20kg等の各種容器等に充填された後、卸売業者の直売なり、全国1474社の
簡易ガス業者や21693社の小売事業者の商流を経て、2013年3月末現在、約2367万軒の
消費者に3tトラック等で個別配送されています。

LNGと都市ガスの物流・商流構造

LPGガスの物流や商流が、石油とLPガス業界内でほぼ説明出来るのに対して、LNGは、
電力業界と都市ガス業界が複雑に関係しているので、説明は少し難しくなります。
まずLNGの輸入ですが、その多くは開発から手がけた長期プロジェクトです。
日本が2012年度に輸入した約8674万トンのLNGの内、筆者が調べた範囲では、
8カ国の18プロジェクトが存在し、その年間の輸入量は6500万トンでした。すなわち
全輸入量の約8割が長期プロジェクトによる契約でした。
その一例としては、1972年契約されたブルネイの案件では、1993年から出荷が開始され
年間購入数量は、東京電力403万トン、東京ガス124万トン、大阪ガス74万トンなので
正に垣根のない、日本エネルギー輸入連合株式会社です。
その引き取り割合も出資割合によって決められているようです。
この8674万トンのLNGが、都市ガス大手4社、合計で209社、電力会社10社。
そしてJX等の石油元売や商社も絡みながら、日本に安定的に輸入されてくるのです。

現在稼働中の輸入基地(外航船1次基地)は約30カ所。(建設中の1次基地は8カ所)
内都市ガス事業での使用数は25か所です。
輸入基地のタンクで最も大きなものは、千葉の袖ヶ浦工場の266万KLですが、これも
東京ガスと東京電力で共同運用されています。
一方、現在稼働中の2次基地は全国6カ所。 建設計画中が1カ所です。
二次基地レベルになるとタンク容量は3000KLからせいぜい1万KLの大きさです。
計画中の1次基地2次基地にそれぞれJXエネルギーの名前がみられ、LNGについては、
業界の垣根は、なくなりつつあることを実感します。

これらの輸入基地等の適用法規は、電気事業法とガス事業法、高圧ガス保安法の三種類で
規制されています。
そして2012年度で総延長247358kmの導管とLNGローリーで日本の面積の約5.5%に当たる
21653km2に天然ガスが供給されているのです。
 下記はLNGの物流フロー図(日本ガス協会資料より当社修正)