永年ご愛顧戴いた八重洲を閉鎖することとなりました
 本当にありがとうございました。そして八重洲よ、さようなら
あなたは4月企画の番目のお客様です。
弊社直営SSの中で最も古い歴史がある八重洲SSは3月末日で閉鎖することとなりました。
46年もの長い間ご愛顧戴き、本当にありがとうございました。今月はその八重洲特集です。

昭和27年、戦後の混乱期にオープン

 八重洲SSは当時の国鉄が所有していた「東京駅前八重洲埋立地」を日石が賃借してSSを建設 昭和27年5月より営業を開始しました。開所時点で、大きさは東洋1、SSでのチューンナップ室や オートリフトをダブルで設置したのも、日本で初めてと聞いています。
 また当時のエピソードとして、「このガソリンスタンドは、国産車にも給油してもらえるのですか」 とお客様から聞かれるくらいで、その頃としては、ずば抜けたスケール最新設備だったのではないかと思います。 右写真は開所当時?と思われますが、工事中の東京駅が見えます。

話題になった八重洲のサインポール

 八重洲のサインポールはV字の2柱式。今あっても話題になるでしょうね。 正にこれが日本石油のイメージシンボルであった時があり、日石の株主報告書の表紙にもなりました。
 若い方は、ご存知ないと思いますが、日本石油は、シェブロンとテキサコの子会社である カルテックスと深い関係にあり、昔は両社のマークが併用されていました。 右の星印がCALTEX、左のコウモリマークが日石のマークです。
 その下の写真はCALTEXから「日本石油」の電飾看板に変更になった時の夕方の写真、 おそらく昭和40年代頃?でしょうか。車も新しくなり、色々な意味で時代の移り変わりを感じます。
 この一時代を担ったこのサインポールも老朽化し、耐震安全性を考慮して昭和60年頃撤去されました。

ガソリン販売数量や油外収益に恵まれたSS

 八重洲の「日本で最初」は何もハードだけではありません。 ガソリン販売月間200KLも、SSでのタイヤ販売も八重洲が最初と聞いております。 ガソリン販売が400KLを越えたのは昭和40年代。近くの鍛冶橋の交差点まで車が並んでいたそうですが、 都庁新宿移転後は、300KLの維持はやはり難しくなりました。
 一方、油外収益はその恵まれた立地環境から、高収益をあげさせて戴いておりました。 それは日石グループ内で最も権威のある「全国優秀特約店SS表彰」において4年連続表彰を始め、 数々の栄誉に輝いたことにも現れています。この油外収益を最近の業界表現で申し上げれば、 人件費効率120%を昨年も達成しました。収支ですか?。高額家賃を払っても勿論黒字です。

SS併設ビルを断念の理由

 最近東京駅近くのJR跡地が高額で売却され話題になっておりますが、 初めて地主である国鉄から明け渡しを要請をうけたのは、昭和60年代でしょうか。 その以降日本石油の粘り強い交渉の結果、土地の買い取りに成功、SS併設ビルを検討していたのですが。 皆様もご存知の清算事業団所有の隣接地の売却に伴い、写真右側私道の将来に亘る使用に 制約を受けることとなり、2面開放SSビルとしての許可が難しいことが、分かりました。
 石油販売を本業とする当社としては八重洲SSが無くなることは誠に残念なことですが、 今東京駅を取り巻く、旧国鉄本社跡、八重洲北口、そして八重洲南側と再開発が期待される中、 当SS跡地も日本の首都東京の玄関口として改めて生まれ変わって頂ければと思っています。

長い間ご愛顧戴き本当にありがとうございました

 現在の八重洲SSのお客様には、前もってお話しし、共納SSを始め近隣の日石SSをご紹介、 ご迷惑をかけることの無いよう努力しておりますが、古いお客様から閉鎖を惜しむ声とともに ねぎらいの言葉まで戴き社員一同恐縮している毎日でございます。本当に本当にありがとうございました。
 八重洲SSよ、長い間、本当にありがとう。そして、さようなら。 文責 垣見裕司